手を掛けるほど蘇る春の庭

山里暮らし

昔ながら見極め方

私は標高1000m近くの高原に住んでいます。
下の街で袋菓子を買うと、家ではパンパンに膨らむくらいの気圧差があります。車で移動する時は耳抜きが必要になるくらいです。夏は涼しく冬は寒い。戸隠にも遅い春がやってきました。

長い冬の雪が溶けると、最初に黄色い福寿草と白いスノードロップが顔を出します。それからはクロッカス、芝桜、サクラソウ、すみれ、オダマキと次々と花が咲き、その花が終わるとまた次の種類の花が咲きます。
それと競い合うかのようにフキノトウ・せり・みつば・タラの芽・コシアブラ・うど・わらび・ぜんまい・こごみなどの山菜が次から次へと出てきます。

まるで駆け足で先を急いでいるかのようです。周りの植物が急ぎ足だと、なぜか人もソワソワし出します。
農家さんは雪が溶けると自分の足で土の上を歩いて、湿り具合や空気の冷たさを感じています。そうやって作業の時期を見極めています。温度や湿度などを計って、工場のように数値で管理するのではなく、五感を使ってタイミングを計ります。昔の人のやり方なんでしょうね。

私など初心者はカレンダーで動きたくなりますが、花の苗を植えても遅霜にあって、何度もダメにしてしまいました。
そういう時は土地の人に聞くのが一番。家庭菜園をしている人も、周りの農家さんに聞きながら苗を植えています。毎日の散歩の時にご近所さんに聞きます。

もう植えても良いですか?
いや、まだまだ

もう良いですか?
まだまだ

どうやって見極めているのか聞いてみると、遠くに見える山々の雪の残り具合を見ているそうです。

ベテラン庭師は木に話しかけている

先日、知人が家の敷地の松やイチイの木、アジサイの手入れをしてくれました。後から知ったのですが、東京で由緒あるお寺の植木を任されているベテランの庭師さんでした。
その人は1本1本、木に話しかけながら、ハサミをいれています。どこを整えると、この木が喜ぶのか、それを考えて切っているそうです。
”極める”と自然とそうなるんですね。

私はガーデニングが好きで、長野へやって来ました。あこがれはターシャ・テューダーの庭。

私が住むまでこの家は、5年くらい空き家でした。以前は年配の女性が1人で住んでいたそうです。その人は花が好きで、時間があるとよく庭に出ていたようです。
空き家になってからは庭にまで、手入れが行き届かなかったのでしょう。木はモサモサと葉が茂り、蔦が絡まって、そこら中が雑草だらけでした。雑草の中にポツンポツンと花が見えるくらいでした。

カヤで荒れた広い庭をセッセと雑草を抜き、小道を敷きました。翌年の春になると去年まで咲かなかった花が、顔を出します。お店では見たことのない山野草も出てきます。

花の名前を調べて、来年はもっと大きくなるんだよ、と話しかけます。まるで宝探しのよう。それを見つけるのが毎年の楽しみの一つです。

日本は長い間、新築好きと言われていました。でも最近は古民家を改装する人が多くなってきています。私の家も昭和の60年か70年代に、建てた家だと思います。
欄間や床の間の柱はそのままに、畳や襖を取り払って和モダンの家に改装しました。

幸せは作り出すもの

「幸せは作り出すもの」このターシャの言葉が好きです。

庭も同じで全て土を掘り返して、新しく作り変える方法もありました。でもこの家の松は家と同じで、ここに60年以上も生きているんです。それを切ってしまうのは忍びないと思います。
ご近所さんの庭にあった花を分けてもらって、少しずつ花が復活してきました。

雨が降った後には雑草がドンドン大きくなります。無心になって庭仕事をしていると、時間があっという間に過ぎていきます。
都会の家では庭が小さくて、庭仕事もすぐに終わってしまいますが、ここでは何日かけても終わりません。
大袈裟に構えなくても、土に触れ一人の時間を持つことはできると思います。

大好きなこと、自然にやってしまうこと、それらを満足するまでやっていると、ある時点でフロー状態に入ります。
作曲家が音符が降りてきたとか、作家が勝手に手が文字を書く。
普通の人でも大好きなことなら、夢中で時間を忘れてできます。

あなたの好きなことは何ですか?
夢中になって時間を忘れることは何ですか?
ぜひコメントください。

仕事が終わった後に、綺麗になった庭を見ると気分がアップします。

南側の大きく作った窓から、その庭と遠くの山並みを見渡せるようにしました。島根県安来市の足立美術館の借景をイメージしたんです。
私はこの場所でボーっと犬猫と窓の外を眺めながら、手編みの靴下を編んでいると、時間が経つのを忘れてしまいます。

田舎に移住したからこそ味わえる時間です。

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